クラウンハイブリッド。
清滝、いつもは生駒側からのところ今回は四條畷市街地側からのアプローチ。
私にとっては到達感充分ですが所詮は標高245mなのであまり自慢にはならなそうですね。この看板を見ると到達感もしぼみます。
清滝までは自転車よりもランの方がストレスは少ないですね。トレイルではなくロードランコースなら全然走れる傾斜なので。
さてさて、ちょっとした記念日がやってきたので交野のノースランドでケーキを買いました。
ち、長女の爪汚い!
ここは安くて大きい、特に子供に対するアピールはかなり効果的なんです。
私の身近で聞く限りほぼ皆統一見解を持っていそうです。
今回過去最高数の15個で6000円越えずにコスパ良し、家族5人で一人頭3個。我が家は毎回ホールではなくショート大量買いです。私はこの方が楽しいと思っています、いかがです?
しかしこの店、クレジットカード使用不可で、そこだけ注意です。
そんな買い物をしながら、義理の父親が80歳近く、ちょっと体調を崩したきっかけがあったので車の運転の引退の話になりました。
義理の父親はずっとミドル〜ハイクラスセダンを乗り継いでいます。マークIIからセルシオ、クラウンと。現在クラウンアスリートG(2015年式、4万キロ)です。
私の嫁は意気消沈した病み上がりの父に免許返納とクラウン売却を説得しています。そしたら義理の父親はそれでいいと、そしてお前らが好きな車を買えばいいと言うのです。
ずっと義理の両親がお世話になっている近所のトヨタ店でのやり取りなので、嫁の出す案がヤリスハイブリッドでした。
待ってくれと私。義理の母親がアクアに乗っているので、まずはほぼ同系統の車二台所有になるではないかと。
そして何よりクラウンがヤリスになったら義理の父親の喪失感はただものではないのではないか?と。しかし私の心中、GRヤリスがよぎりながら。
それからとある日、クラウンも一ヶ月くらい動いていなかったある日(ハイブリッド車と言えども動力用バッテリーは始動内装用とは別であるため普通にバッテリー上がりはあるよう)、私が運転で義理の父を乗せて洗車と電気屋に行く機会がありました。
私はクラウンに乗るのは初めてです。やっぱり高級車でしたね。これは運転してみて初めて分かります、いくら外から眺めてても分かりません。内装、静粛性、パワー感、何より一番驚いたのがアクセルとブレーキペダルの感触に高級を感じたところです。それは初めての感触でした。
私「え、これブレーキですか?」
義理の父親「おいおい、大丈夫か?」というやりとりがありつつ。
又、私はトランスミッション形式のCVTが好みではなく、ハイブリッド車はほぼほぼCVTで、この型のクラウンもそうなのですが、タコメーターがなくてエンジン音も静かなのであまり気になりませんでしたね。
ちなみに何が嫌かって、CVT車特有のエンジン回転数の収まりどころななさで、タコメーターが付いていると針の動きが余計に気持ち悪いと感じるのです。
で、私らが普段乗っている大衆車とは物が全く違うことがはっきり分かりました。やっぱりクラウンがヤリスになったらダメですね。
義理の父親にはずっと所有してもらいたいと思いましたね。乗らないとしてもいつでも乗れるつもりで、ガレージにディスプレイしておくのが良いと私は伝えました。
クラウンは一生モノという感じもしました、これはもう一度言いますが運転して初めて感じるのではないかと。
普段洋物かぶれの私でも、ドイツ車いらないなと思わせられました。所有感も充分ありそうです。
私は最近だと、実の母親が現行ミニクーパー、BMW318iツーリング、ニュービートルと乗り継いでいるのでそれらを時々乗っており、私もしばらく縁あってBMW116iを所有していたので(身内にドイツ車屋がいるので)、これらはまあ、高級グレードではないにしろ、欧州感は感じても高級感が特別あるようではなかったので、これらとは全く質感が違います。
これを知ってしまったらもう現実に戻りたくありませんね。
ちなみに私、コンパクトハッチバックが好きで、116iは良かったですよ。市街地ではキビキビ感はないがやはりドイツ車、高速巡航は全く国産同クラスとは違いましたね。又、燃費はリッターあたり市街地10キロ、高速16キロでした。
ほらほらよく高速道路でドイツ車が別格の速度域で走っているのを見るじゃないですか、あれは本当に自然なことなんだと気づくことができました。何が違うのかってはっきり分かりませんけどね、車体の前後重量バランスなのか剛性なのか、タイヤサイズの違いなのか、エンジンの出力特性なのかなんだか!?
116iは家族からの3列シートの強い要望により泣く泣く乗り換えとなりました。現在は日産の大衆ミニバンです。
ということでクラウンすごいです。
ホント、私にとって国産車に対する価値観がひっくり返った日でした。
現在義理の父親は元気に過ごしており、病み上がりの意気消沈していた頃から一転、さあそろそろ車に乗り始めようかと言い出してきています。